ゲームのヴァレ

ゲームが生きがいのひとり言。

ゲームのおかげ

コケはゲームについて特段詳しいわけではないです。

あのレアモンスター捕まえたとか、あいつをソロで狩ったとか胸を張れる要素は何一つありません。ほぼほぼクリアもしたことないです。飽きたら止めるしやりたくなったらやる。あくまで“いちゲームユーザー”として語っています。なので、コアなゲーマーの方々からすると、ぬるい内容だと思います。

それでも新しいゲームは買い続けるし、懐かしのソフトも遊びまくっています。なんとか生活を「お仕事終わりの自分戻し」ではなく、「ゲームを中心とした“ゲームありき”の生活にならないかと日々健闘中であります。

何かと「退屈しのぎ」の様なポジションのゲームですが、コケは、ゲームを”やりたい”ためにお仕事をしているので、何かと時間がない…。お金もない…。なぜこんなにゲームが好きなのか本気で考えてみたけど未だに確定的な答えは見つからず、

よく同僚や上司などに、「そんなに熱くなれるものがあって羨ましい」と言われますが、コケにとってゲームという存在が「行きたい場所」や「食べたいもの」挙句そこに「住みたいなぁ」と思い出す始末なので、ゲームという存在が見事に「衣食住」を満たしてしまっているわけですね。

今コンビニ等でも置かれる本や雑誌では、「本当の〇〇」とか「最強15分なんたら」などの徹底した「正解」を押し出しているものばかりが目に付きますので、そういった風潮からはかなり「外れて」いる所にゲームはあると思います。ソレはそうですよ。確かにゲーム内でお腹が膨れる訳じゃないし、筋肉が作られる訳じゃないし。だからゲームなんか無駄なんだと思う人々も多い。だからコケは人にゲームを他人に勧めるのは中々難しいと感じています。無駄だと感じられたら無駄以外の何者でもないですからね。

コケは根っからのゲームユーザーなので、使えるお金はほぼゲームに注ぎ込んでいます。ゲームは決して安くないので、価値観の違いなのですが、先程の「筋肉を作るためにタンパク質をとった方が良いよ」の様に、なかなか人に勧め辛いエンターテイメントなんですよね。

「好きなんだよね」と言ってもじゃあ「どの位か」と聞かれても答えにくい。寝食忘れる程と言ってもバカにされるし…。なんとなくこの「バカにする」と言うのが自分に向けられていれば「あははー」で済むんですけど、「ゲーム」をバカにされている様で少し悲しい気持ちになります。

なのでコケは幸せを買っていると言ってもいいと思います。いや“幸せを経験させてもらっている”と言った方がしっくりきますね。

本当にそのゲームに触発されると現実そのものがゲームの風景に見えたり、劇中に出てくる食料だったりが見事に現実と空想が入れ替わったりしていますが、本人は結構楽しいと言うか、むしろ、「正しい情報」(例えば滝はマイナスイオンが出ているから気持ちがいいとか)というものに左右されるよりも、「ここの滝はハイラルにありそうだね」とか「あの主人公が狩ったイノシシはこんな味がしたんだろうか」とかそっちの方にむしろ感心したりするので、こういう現実との付き合い方も“アリ”なのではないかと考えています。そしてソレが幸せだったりします。

現実を楽しむ拡張要素としてゲームがあり、ゲームがあるからこそ、身の回りのものがより“らしく”感じる。ゲームは現実では決してない。開発者の方々も、「あそこの丘はもっとアフリカっぽくしてよ」とか、ゲームを現実に擦り合わせて作っているのは感じます。だからこそアフリカ行ってみたいなぁとか好奇心を刺激され旅行とかにも興味出たりします。

現実と空想は決して相反するものではないと思います。想像力が大切とか昔の作家は語っていますし、人は物語(ファンタジー)を忘れてはならないとも言う。古代の哲学者だって「この世は何かの"影“かも知れない」と言い残している。どんな現実主義でも筋肉をつけたい人や一攫千金を狙ったり、健康を願う人、今日の孤独が明日晴れる事を願って占いに走る人も「理想の自分」というファンタジーを追いかけている。人は結局、物語無しには生きていけないのだとゲームをやりながらシミジミ感じます。

そして「そうありたい」ですね。