ゲームのヴァレ

ゲームが生きがいのひとり言。

どうせなら楽しいことを書けばいいのにどうしても話題がコロナになってしまいますね。自粛自粛と促されてる反面、どうやら「家でじっとしている」ことが出来ない人が多いみたいですね。

 

例年よりキャンプ場が賑わっているらしいです。人との距離があるのが一番の理由だそうです。移動するな、と言われているのになぜ我慢できないのでしょうか。

 

コロナは大体の人は軽症のようですが、呼吸器疾患がある方にはとても危険です。あなたにとっては、ただ風邪をこじらせただけかもしれません。ただそれがコロナ由来なのか、わからないでしょう。あなたがもし、喘息や肺炎などを患っていたら、気が気でないと思います。

 

「自分も抱えている」という可能性がある。症状も出ないので、風邪かどうかもわからない。いつの間にか患っている。それをふとしたことで移してしまう。だからちょっと我慢して、と言っている。今しがたも、世界の科学者や研究者は多いに戦っていることでしょう。きっとワクチンは開発されます。激しい利権争いの真っ只中かもしれません。どんな理由であれ、それまで待てばいいのです。桜なんて来年も咲くでしょう。海なんて地球があれば未来永劫存在します。今行かなきゃいけない理由なんてないでしょう。

 

世界は人も経済も今しがたも止まっているというのに、日本、またここ銀座では、昨日よりも車も人も往来が増えた気がします。いや街中に活気が戻り路上販売も行われ、外国人もよく見かけます。お店の店員による呼び込みもやっていました。

 

なぜ人は「同じ日常の中」にいたいのでしょうか。

なんやあれやこれや書いてみたり書かなかったりでたくさんたくさん思うことを言葉にしていました。面白いと感じること、大好きなゲーム、身の丈には合っていない新型コロナのこと。長年続いているわけではないのですが、ふと思ったんです。

 

そんなに言いたいことってないんだなぁ、と。

 

書くことがないとは別の問題なのですが、いちいちいうことなのかな〜と我ながら感じましたね。

 

しかしコロナ対策がどこまで政府は把握しているのでしょうか。世界規模ではまだまだ戦時下のような緊迫した状況ですのに、日本は相変わらず車は走っているし、六本木には新しいモールなんかもたっていますし、なにが封じ込めなのかいまいち分かりません。

 

街中に人は減ったとは思いますが、何割かの人は緊張感が無くなったように思えます。どう捉えていいかわからない「自粛」の反動だと思います。やるなら一気に止めてしまった方がいいように思えますが、相変わらず「未来未来」「景気回復」「明るい未来」なんかをチラつかせる商法にうんざりしています。今をどうするのか、を具体的にして行かないと未来もなにもないじゃないか。頼りにならないのは実感してましたし、どうにかしていただけるとは思っていないけど、こんな「今をやり過ごす」やり方をしていては、国のために、なんて気になりませんね。どうせあれもこれも選挙のエサにされるのがオチなのでしょうか。

 

あれ?結構言いたいことはありましたね。でもなるべく不平不満で固めたくないですね。

 

コロナはたしかに厄介だと思いますが、副産物として、手をよく洗っているおかげで手がキレイです。髪もよくとかすので、クセ毛がおさまりサラサラヘアになりました。

 

スピ系では「精神の時代」とよく言われてますが、こういう時こそ「自分を見つめる」時です。なにが大事でなにが必要なのか。大切な人は誰なのか。経済が立ち行かなくなった時、なにが残るのでしょうか。人はピンチの時ほど答えはここに返ってくると思います。日頃の行いとはよく言ったものですね。

 

言いたいことがない、なんて偉そうに書きましたが、コロナ影響で仕事が激減し、ついつい長くなりました。人はどうして、こんなにも話したがる生き物なのでしょう。

コロナウイルス特別貸し付け金制度の相談に行ってきた

コロナの影響で

仕事が減り

生活が苦しくなって

貯金も無くなって

 

これから影響を受けて

さらに生活がやばいって言っているのに

市役所に相談に行ったら

時間が空いているなら働くしかないという旨を

言われました

 

しかも書類がたくさん必要で

貸し付け金の交付自体はすこぶる早いそうですが、コロナのちょっとやそっとの影響では、貸し付け出来ないそうです。

 

あくまで「貸し付け」なので

返済見込みが立たなければいけないそうです。

当然といえば当然ですが

ここに緊急な要素は含まれているのでしょうか。

 

今月はやばい。来月はもっとヤバい。

だから貸してくれと言いに行ったのに

「働いて」で片付けられた

ぼくの今日の時間はなんだったのでしょうか。

 

もし、コロナウイルス特別貸し付け金制度を利用するなら以下の事は留意しておいて下さい。

 

あくまでもぼくの主観ですから、参考程度に。

 

応募者が殺到しているので、今のうちに行った方がいい。ぼくは4時間待たされました。

 

相談時間は30分〜1時間。ぼくは対象者では無いらしいので(確実に影響受けているけど)10分で終わりました。

 

貸し付け相談をするのはその世帯の大黒柱であること。

 

世帯収入の証明書が必要(給与明細)

 

コロナの影響であることが証明出来るもの(シフト表、給与明細など)

 

印鑑証明書、住民票など

 

1〜2週間の影響では相手にもされない

 

税金滞納者には支給は難しい

 

返済が確実に行えること

 

時間が空いているのならば、寝ずに「働け」と言われる覚悟

 

ややこしい制度の説明に付き合う時間

 

会社も国も結局はなにもしてくれないのですね。これは甘えなのでしょうか?考えるのもバカらしい。

 

結局制度を利用して駆使するよりも

働いた方が話が早いですね。

ぼくが出来ること

ワイシャツを着ていないと

だらしないヤツと思われるから

ぼくはTシャツを着た

 

髪が乱れていると

生活がいい加減なヤツだと

決めつけられるから

ぼくは髪を伸ばした

 

言葉使いがなってないと

怒られるから

ぼくは普段通りに話した

 

煌びやかな歩行者も走る宝石である高級車も

誰一人として

人を人として認識していないから

ぼくは彼らに

道を譲った

 

コンビニでレジの並び方が分からかったおばぁちゃんが

割り込んでしまって来たので

ぼくは彼女に並び方を教えてあげた

 

上品な高級ブランドが立ち並ぶ

眩しい街に少し目が眩んでしまったけど

 

世界的にも知名度があるこの街で

ぼくが出来ることは

こういう事なんだと

強く思った

 

拝啓ドロドロのドン引き屋

8時半には出発しなければならないのに

それが工場には伝わっていない

ようやく降りてきた荷物も

すみませんの一言もなく手渡され

大急ぎでお店に着いたのが8時50分

 

納品先には9時20分に着かなければいけないのだけど

遅すぎるとクレームが入った

 

最終的にはドライバーが遅い

で片付けられ

皮肉に耐えるだけ

 

そんなに文句があるなら自分でいけよ

サンドイッチ焼いておけよ

 

社会人なら

ホウレンソウくらい出来ると思うのだけど

銀座の一等地で店構えてるくせに

そんなことすらままならない

それが今の日本の現状

 

責任は全て下に押し付けて

自分たちは客にヘコヘコして

メロンを売っている

 

どこにも誰にも

責任がなくて私はわるくない

と全員がおもっている

 

上が強権的で

パワハラまがいの行動が横行している

恐怖政治はなにも産まない

荷物が遅れたのはサンドイッチが焼けていないせいでドライバーの責任ではない

 

 

 

なにがしたいのか全くわかりません。

 

 

ぼくとしては好きな事だけしていたいですね。それで幸せです。

 

超高級フルーツ店の店長

超高級フルーツ店の店長は

配送ドライバーをバカにしている

 

同じ目線でものを考えない

人の意見など聞かない

 

配送時間に厳密に間に合ったとしても

「遅れた」と届け先に言われたら

全て配送のせいにする

 

そちらの不手際も

往々にある

 

ぼくらは黙って

吐きそうになる汚い言葉を飲み込んで

言われるがままに配送する

 

まるで奴隷。

そんなぼくらだって

そこのお店の

お客さんなのだが、そういう人が店長をやるようなお店にお金なんて出したくない。

毎日こんなご時世に

ん万円もするフルーツを

 

毎日お届けする

 

世界は

 

お金持ちのためにある

 

そんな週初めでした。

 

同じ目線で返ってくる

ぼくの家の周りはシーンと静まり帰っている。

息をしていると事がばれれば

即座に撃ち殺されそうな映画のワンシーンになっている。

 

もちろんコロナの影響なのだろうけどみんながみんなそうしなければならない理由はない。いくらウイルスが危ないと言っても、息を潜めなきゃ行けない程ではないと思う。

 

お出かけ中に世間への反発からか、周りに挑戦的に咳をかけて来るサラリーマンがいた。マナーとしても言語道断だが、彼は怨みを込めた目線で世界を見ているようだった。また周りも、咳をした彼を、まるで世界中の嫌われ者を見る目線で見つめていた。

 

ぼくもついつい、世間に対してなにかをおもうことはある。いらだちもある。でも長続きはしない。結構睨み続けるのは、大変だ。それに毎日そんな気持ちでいては、それこそサラリーマンと同じで、世界が憎くて仕方ないだろう。それは本当に楽しいのだろうか。ぼくが望んでいることなのだろうか。

 

周りをどう見ているかと言うことは、周りにどう見られるか、ってことでもありそうだ。

 

なにか1つでも「幸せ」な目線で

世界を見渡していたいものです。

今は、「音楽」かなぁ。

 

コケでした〜。