ゲームのヴァレ

ゲームが生きがいのひとり言。

「観測」の目と「神殺し」

自分は神話とか神さまが好きです。何か魂的なものや生物、物理世界の根源に迫っている気がするのです。乙女座だからか、そういう根っこの部分を分かりたい気持ちが強いみたいです。

 

と言いますかね、恐らくゲームや小説の様な

「物語」の基礎は全て神話や神さまに帰結すると思います。

 

ことさらゲームとは相性が良いようで、どのゲームでも結構出てきます。

 

まるで意識していなかった懐かしの街の名前が神話をもじっていた事に気づいたりすると、さらに親近感湧いたりして、何週したか分からないゲームをやり直してみたりしています。

 

ゲームでの神話や神々との見事な融合はとても知的好奇心を満たしてくれるので、改めて本を読んだりしながら、知識が溜まったりすると「アレってもしかして、そこまでかけてんのか!?」と、開発の方々に驚いております。

 

やはり「勉強」とは自ら考えられる様になるのが「勉強」なんだなぁと思います。(正しいかどうかは別ですが)

 

自分は生きがいはゲームなので、神話を知るキッカケはもちろん大好きなゲームでした。

自分のよりしっかり「神話を知る」事になったゲームは「真女神転生4ファイナル」です。

比較的最近ですけどね。このゲームのおかげで神話をもっと知ろうという気になりました。元々メガテンは好きでしたけどね。

当初はメガテンの最新作が3dsでリリースされると言うのを知ったので、たまにはこういうダークな感じもやろうかなと。そしてクリア後は「4」も買いました。

 

やり始めはこのヒリヒリしたストーリーや、神さまの由来やら説明をただ読みたくてひたすら悪魔集めを繰り返していただけなのですが、「これはもしやただの神話と現代にちなんだ物語では無いな」と気づきました。今現在の科学的なキーワードが頻繁に出てくる。本当によく研究されている。

 

その一つに「観測」と出てきます。

 

「観測」とは何かを語るスティーブンの一節に、「僕ら人間は「物事」を見つめ、それがなんであるか答えを見つけ出す事」ができる。「ただそれは、神々が自分達の都合を書き換えてしまう事になる。」(の様なニュアンスです。)

 

初めはただただセリフに感動しておりましたが、ここの下りがものすごく好きで、寝ずに考えたものでした。

 

「哲学的」な意味合いも含むこの一節では「神」が「なんたるか」を語っています。そもそも「神」の初まりは自然信仰であり、実際に夜空や身の周りを見て「何か」を想い「感じる」様な「感情」や「心」を指していました。

 

その心を「神」として具体的に偶像や口伝で伝えていた古代の人達は、到達し得ないものとして、崇め慕っていた。それを時代が進むにつれて、文字通り「観測」技術が発達して、それは「神」の所業ではなくなり、「原因」があり「事象」がある、「科学」である事を知ってしまった。

 

もちろん「ゲーム」なので、そこは「敵キャラ」として神々や悪魔が立ちはだかる事にはなりますが。

 

「哲学」と「科学」は親縁関係にあります。両者を無視して発展し得ないのですね。そして「科学」と「宗教(神々)」も無縁ではない…。

 

科学の基本である物理学に、物質の最小単位である「素粒子」を扱う「量子論」というものがあります。この量子論の性質に「位置」を観測されるまでは、どこに存在するかは確定されず、一つの原子があちこちに「同時」に存在することになり、観測されてしまうと、空間のどこか「一点」にしか、見つける事が出来ません。なぜそうなのかは分かりませんが、まるで神々が自分の正体を隠している様ですね。

 

素粒子は真空にもあまねく存在する「偏在」する「神々」であり、

(こんな複雑なものが生まれている事自体、神の所業だとも言えます。)

観測されるまでは何者にも依存しない「真の自由」を持っており、

「観測」する眼を持った『人間』だけが、「神々に対抗しうる力」を持っている…。

 

この物語は現実に研究されている、「量子論」を「神々」に見立て、神々が行ってきた行為や属性を我々人類だけが行える現代の「神殺し」を見事に表現した最高のストーリーでした。

 

「物語」とは現代的には「心」か「心の在り方」を探したり見つけたりするのが主流だと思います。そしてどのゲームでも、物理的に「神を超える」存在です。ラスボスは「神の様な存在」ですから。

それはこの「真女神転生4ファイナル」も敵も味方それぞれの思惑の中、葛藤しながら突き進むので、「心」の事もしっかり組み込んでいますし、ラスボスは「あの神」なので

表向きは「神殺し」ではあります。

 

しかしそれ以上に、この今の世界の神も悪魔も人類でさえも無くさなければ、呪われた様に囚われている「価値観」「先入観」「信仰」「イイね」等を真の意味で「救済」するには一度全てを消し去るしかない。

 

そしてダグザが望んだ「救済」をしたとしても、それは一時の出来事でしかない。

素粒子を扱う「超ひも理論」では、プレーンワールド自体が衝突して、全てが「無」になったとしても永遠に宇宙の輪廻はなくならないと言います。

 

本当に神も悪魔も人類も、いつかいなくなったとしても、そこにはあまねく偏在する素粒子の様に「何かは存在」しています。それは次の世代の「神」なのか「悪魔」なのか、はたまた「別の何か」が生まれてくるのかは分かりませんが…。