ゲームのヴァレ

ゲームが生きがいのひとり言。

「心の怪盗団」

ジョーカーがスマブラ参戦してから何ヶ月が過ぎたんだろう…。

 

ペルソナ5  未プレイだったので、スマブラ参戦は未知のゲームを知るいい機会なので、早々に手に入れ、最近流行りの「ゲームらしくないゲーム」のオサレな世界と、様々な所で使われる「ジャジーな音楽」に魅入られ、ジョーカーの「喫茶店暮らし」に嫉妬して止まない毎日だった。

 

 

スマホが絶えずなり続け、いつ如何なる時でも誰かしらから誘いが来て、気になれば映画を観て、夜は猫とコーヒーを愉しむ。たまにマスターに味をチェックしてもらえて、挙句豆使い放題とか何事だよ…。てかモルガナ欲しいわ。

 

学校の図書室で勉強していた「真」に一目惚れして鬱陶しいほど毎日通い詰め。

「魅力」が上げられなくて、別の女性をたぶらかし、メイド喫茶に通い詰めし、猫におちょくられながらも、なんとか最終決戦前までには恋人にはなれた。

 

つーかモルガナ可愛い過ぎ。猫って自分の事猫って思ってないしね。都合の良い時は猫になるけど。最初はそれで自分の事人間だと主張してるんだと思った。猫飼ったらモルガナって名前つけようかな…。

 

最近のゲームでは、スキルも含めて「何をどうするか」全ての選択肢が自分で選べていける。面倒なら相手にしない、行きたくないなら行かない、余計な事に首をツッコまない。「成長」していたのはジョーカーではなく、プレイヤーである自分である。

 

世界が成長して社会が安定すると「自分とは何か」「生きるとは何なのか」そしてそれを知るために「我々はどこから来て、どこに行くのか、なぜ生まれてきたのか」という人類共通の謎にぶつかる。

 

人間が増え続けるとそうなるのか分からないが、没個性化して個人という存在は海の中の一滴の水滴の様に無くなる。一致団結してみんなが住みよい世界を作っていっても、行き着く先は、どの時代も「自分とは」に辿り着くのが面白い。誰かが「夢見ていた世界」が「今の世界」ではあるのに。

 

古代の人類でも悩んでいた究極の問いであり、コレについては答えが出るものでも無いのだけれど、お陰で科学は進歩していった。

 

それに対して明確な答えを持った人達が「パレス」を築いていった。「オレの城」だから、外野がとやかく言う事も無いのだけど、それについて答えを出せるのは容易では無い。相応の覚悟も必要だし。

 

「世界を変えるのは自分を変える」という認知から始めないと、あっという間に「メメントス」に囚われてしまう。

調べた事は無いけど「メメントス」は「メメント•モリ」みたいな事でしょう。「死はすぐそこにある」と。

 

本当に怖いのは、パレスを築いてしまうより、「思う事」「考える事」「感じる事」を止めて、ただ日々を消化していき、「面白い何かを」を他者に求めるだけの存在になる事でしょう。メメントスに自ら囚われに行った「シドウ」達を見た時は、結構ショックだった。

 

ジョーカー達怪盗団の様に「心を奪う」事はしなくとも、そこから脱けだす方法はそんなに大胆な事では無いのでしょう。そして囚われるのも簡単でありましょう。

 

「心の怪盗団」のリーダーは自分自身であり、今を生きる「トリックスター」は自身である事を再認識させられた。いいゲームとは、「自ら考える事が出来るようになる」のが先ず条件。

 

「この世界は夢の中かも知れないな!」と最後に竜司は叫んでいた。

認知さえ間違わなければ、全てが楽しい夢の様な世界とも取れるし、望めば夢が叶う世界とも取れるし「続編」を思わせるセリフでもあった。(まぁロイヤルが出ますしね。)

 

でも現実にこの宇宙は「何かの夢」の様な存在だとする研究もされているので、ただの宣伝的なセリフじゃ無いんですよね。

 

必ず「科学、哲学、宗教」に引っ掛けてくるATLAS。大好き過ぎます。